自己紹介

粂川 敏男(くめかわ としお)

お天道様に真っ直ぐに!粉骨砕身!政治と向き合って参りました。

わたくし、立川で生まれ、立川で育ち、根っからの立川地元でございます。立川の祭礼行事、商店街活動、地域消防、子供達を温かく見守り、各ボランティアで、また地元建設業の仕事として、また政治家の秘書として立川市に様々な形で携わらせて頂きました。

一つだけ確実に言えることは「生まれ育ったこの街を愛している」ということです。

だからこそ、この街に住む人の為に、携わる人たちの為に恩返しをしたいと思っております。まだまだ若輩者ではございますが、ただ純粋に立川を良くしたい!お天道様に真っ直ぐに!粉骨砕身!政治と向き合っていきたいと思っております。皆様と一緒に前へ進ませて下さい。

1983
㈱大丸組・粂川家男三兄弟末の子として誕生
1988
たちかわお囃子保存会:柴二東部会あづまはやし連 

5歳の頃から諏訪神社近隣の囃子連に所属し、祭礼に参加。
現在、地域の子供たちの指導に従事。

1999
ラグビー一筋  One for all,All for one

立川市立第一小学校、第一中学校卒業 ラグビー部に所属。
ラグビー推薦にて東海大菅生高校 普通科 体育コース 入学卒業。
推薦入学 東海大学法学部法律学科 卒業。

2003
志のはじまり 政のはじまり

大学在籍時に自民党衆議院議員候補の選挙スタッフとして従事
20歳の時に父他界。その後、市内のボランティア、団体に参加。

2006
小川友一先生と歩んだ「三多摩副都心計画」

小川友一前衆議院議員のスタッフ、その後秘書として2年半の修業期間。

様々な地域活動への参加

立川市建設業協会、役員理事に就任。
IKEA建設工事、東日本大震災の折の復興支援活動、立川駅前投光支援に従事。
不動産管理業として丸川珠代参議院議員、清水庄平立川市長の選挙事務所の手配を担当。

2011
名画座通り商店街会長に就任

名画座通り商店街会長に就任。諏訪通り商店街との合併事業に従事。

選挙活動のサポート

清水孝治都議会議員・小田原きよし衆議院議員の選挙の際には柴崎地区の担当者に従事

2012
立川諏訪祭り実行委員会

立川諏訪祭り実行委員会 立ち上げのメンバーとして事務局を担当。

2014
日野市での過酷な日々

日野市 第29代・第30代市議会議長 市議会議員 西野正人の下で秘書として従事。
㈲西野土建に勤務。一級土木施工管理士取得。

2015
政治家秘書としての勉強

清水孝治都議会議員事務所で秘書として勤務。
小田原きよし事務所にてスタッフとして派遣。そして初選挙に

2018
立川市議会議員選挙に初当選

立川市市議会議員に1640票を得て、初当選。

2019
立川自民党市議団の一員として地域の課題に取り組む

市議会一年生、やれることをやる。分からないことは聞く。とりあえず思い切り良く!
毎日が勉強と刺激の日々でした。

立川市消防団第十分団

地域消防の大切さと地元愛、また活動に大いに感銘を受け
日々の活動に従事。

2020
新型コロナウイルス感染症が蔓延 

日々の活動が止まる衝撃。非日常が始まる。議員活動の限界を感じながらも
支援策のお知らせ、普及、説明に奮闘する日々

2021
4児の父親として、立川の子育て施策に全力

PTAの解散。サポーターズの立ち上げ。地域の子供たちの未来の為に
全力疾走で駆け抜けました。

若葉台小学校完成 若葉町のまちづくりが一歩前進

立川初の統廃合が行え、新しい形での学校運営。立ち上げに参加
立川の学校の各種課題を痛感。

2022
二回目の立川市議会議員選挙に当選

1555票もの貴重な得票を頂いて当選。前回よりも票を減らしたことを
大いに反省すると共に、この四年間と地域の方々に感謝。

2023
立川市長選挙、東京都議会議員補欠選挙。両方で惨敗

自分の経験不足。知識不足。実力不足。様々な要因で打ちのめされる
自分に出来ることを模索。生き方について考える。

2024
病気についての告白

五年前から発症していた「一型糖尿病」に関して告白。
理解を示してくれた地域の方々に感謝をしながら地域活動の継続